長女である私は母親から特別厳しく育てられたので、いい子に育ちました。
その性質のまま社会に出て、はじめはそれでいいつもりだったのに、父の死をきっかけに自分を変えようと思った、そんな話を書きます。
いわゆる“いい子”だった私
母の厳しさというのは、私に対する激しい期待と執着だったと思ってます。
期待に応えないと怖いし怒らせると面倒、そんな思いから、とにかく“いい子”になりました。
学校の成績は良く、硬筆毛筆絵画でいつも入賞。全校生徒の前で作文を発表したり学級委員をしたり。
夏休みの宿題も完璧な計画を立てたうえで最初の1週間くらいで終わらせるし、家事も手伝うし、バカみたいに厳しい門限も守るし、もし「日本いい子選手権」があったら絶対3位以内に入れるぜ!と思ってました。
大人の顔色を見てどう振舞ったら相手が喜ぶか察知するのも大得意で、期末懇談では担任の先生から「彼女には何一つ文句を言うところがありません」なんて言われて、母は悦に入ってました。
“いい子”が大人になった
そんな子が就職すると、なかなか良い仕事をします。計画的に素早く正確に仕事をこなすので、上司に評価され、期待と信頼を得ます。
ところが同期や後輩に対してはイライラしたり、厳しくなったりしてしまうのです。
「どうしてやってないの?話聞いてた?」「そんなんじゃ間に合わないよ」「もうちょっときちんとできないかな」etc…
今思えばまさにこれ、参考になるんだけどね(^_^;)
それはさておきまぁそんな調子で、社交性や人への思いやりは一応あるつもりなのですごい嫌われるとか仲間外れにされるとかはなかったんだけど、
先輩から「出た!完璧主義!」とからかわれたり、会社で一番短気な人と呼ばれたりしてました。
後輩はそんなことも言えないし、ストレスだっただろうなぁ…と今は申し訳なく思います。
対局に自由奔放な妹
私が小学校に上がる頃に生まれた妹に対しては母は全然厳しくなくて、逆に振り回されるくらい。
片付け・段取り・計画全部苦手、きちんとするって何のこと?みたいな妹は、人に遠慮することなく感情も全部出すし、楽しいことが大好きで全然勉強しないけど遊びの天才!みたいなタイプ。
懇談会では担任から「全くおたくのお子さんは!」と、延々と説教されたと母は言います。
妹がちゃんとやらなかったことは私が尻ぬぐいしないといけないし、母は手のひら返したように甘いし、私はそんな妹に半分親みたいな気持ちで厳しく接していました。
父の性格は
父はとにかく優しくて面白い人。今が楽しければいい主義で、いつも冗談ばっかり言って人を笑わせてその場を盛り上げる。そんなシンプルな生き方の人でした。
常にふざけているので真面目な相談なんかはほとんどできないし、母に至っては「男として出世しようとか家族に楽させようって向上心がなくてホント嫌になる!次生まれたらもっと野心家で金持ちと結婚するわ!」なんて文句をよく言ってました。
そんな父によく言われたこと
父が私によく言ってたのが「お前はいつも正しいけど、かわいくないぞ」という言葉。
妹の方がずっとかわいげがあるって言うんです。
そりゃあ父もかわいげの塊だったけど、あらゆることをきちんと完璧に、筋を通して正しくやってくれる人がいるからあなたたちみたいな人がテキトーで居られるわけで、私はちゃんとしてることに誇りを持ってるし、かわいくなくて結構!くらいに思ってました。
父のことは大好きだけど、余計なお世話です!って気持ちだったんです。
父の病気がわかって
そんな父は50代の若さで亡くなってしまいました。
母の文句にもあったように特に出世はしてなくて、亡くなった時も誰もが知ってる大きな企業の下請け会社の契約ドライバーでした。
ただ、病気が発覚して契約打ち切りかな…と本人も家族も覚悟したところへ「必ず治って帰ってきてくれると信じてるから」と雇用契約は続行。さらに母が言うには、入院と治療・療養で全く出勤できないのに、お給料が振り込まれ続けたそうです。
既に結婚して別世帯で暮らしていた私は、その話を聞いた時「なんて心の広い、良い会社なんだろう」と思いました。
本当に驚いたお通夜と葬儀
それから半年ほどで父は亡くなってしまって、お通夜の日。
家族の判断で広告も出さなかったのですが、本当にひっきりなしに「葬儀の日は仕事で来れなくて」という人が、入れ代わり立ち代わり父の元へ来てくれました。
20代の若者もいればずっと高齢の人まで、私の知らない大勢の人が来てくれて、対応するのに休む暇がないほどでした。
「実は1度しか仕事ご一緒してないんですが、本当にあったかくて面白くていい方で、またお会いしたいと思ってたのに…」
と言って来てくれる人、涙を流してくれる人もたくさんいて驚きました。
葬儀の日も、どこの大企業の役員さんの葬儀かと思うほどにたくさんの人が。
葬儀場も道路も人で溢れかえって、全く想像していなかった光景に驚きました。
父はいわば孫請けの個人事業主だったわけだけど、大元の企業の役員さんたちも関東や、もっと遠く、全国各地から駆けつけてくれていました。
父の生き方の答えを見た
世の中を変えるすごい仕事をしたり、大きなプロジェクトを動かしたり、組織のトップだったりしたわけじゃありません。ただ目の前の人を笑顔にすることだけ、徹底していた人でした。
でもその生き方の答えが、この葬儀に表れている気がしました。
「お前はいつも正しいけど、かわいくないぞ」
余計なお世話と聞き入れなかったアドバイスが、その時になってすごく心に響きました。父が自分の生き方をもって、本物の教えを授けてくれたように感じたんです。
そうしてその時に自分の考え方、行動、生き方を変えたい、変えようと、そう思ったんです。
完璧主義も神経質もやめた
神経質に完璧に物事をこなすって、結局自分の価値観に基づいたもの。
自分から見た完璧と人から見た完璧は違うし、それなのにちゃんとできた私は正しくて、できてない人にイラつくなんて、おかしかったなと。
結局、完璧主義は自分の価値を守るための防衛・防御だったのかもしれません。
正義感で筋を通すのもやめた
論理的に考えてこっちが正しいでしょ!正しい方が通るのが当たり前、それが筋でしょ!
正義なんて立場や見方によって変わるのに、結局それも自分の防衛・防御じゃないかと。
何より正義を振りかざすとき、そこには愛が欠けていることに気づきました。
父の生き方はシンプルに愛のあふれる生き方で、その時々に多くの人を幸せにしてきたんじゃないかと。
インドの教え
日本では人に迷惑をかけるなと育てられるけど、確かインドでは人に迷惑をかけずに生きられる人はいないんだから人の迷惑を許しましょうと育てられるそうです。
ホントかどうかは別として、私にはこの考え方もなかったな~と目からウロコの思いだったし、これからは後者の考えを取り入れて生きて行きたいと思いました。
生き方を変えて幸せ度が上がった
こうして私は少しずつ考えや行動を緩めていき、人にも自分にも甘く寛容になりました。
それだとグダグダになって困ることもいっぱい出てくるのかなと思ったけど、そんなことはありません。毎日が穏やかになり、幸せ度が明らかに上がりました。
まだまだな部分もあるし、場面によってはきちんとする方向に振り戻さないといけない時もあるだろうけど、基本的にはこのスタンスでこれからも生きて行こうと思います。
指導霊さんにも言われてた
そう言えば父が亡くなるのと同じ頃、ある特殊能力を持った人が私の指導霊さんからの言葉を伝えてくれて、それは「白黒はっきりつけないと気が済まない性格を直しなさい」というものだったの(^_^;)
父といい指導霊さんといい、私に必要なアドバイスをくれて、今こうして毎日が幸せなことに本当に感謝してます。
父は亡くなった後も優しかったりして、不思議なエピソードもあるしね(*^^*)
そして、あなたに今日の記事も読んでもらえて嬉しいです。ありがとう(^人^)
それではまた!
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