10月末に結婚記念日が来て、結婚24年目に突入しました。(゚∇゚ノノ☆パチパチ
前に夫婦円満の秘訣を書いたので、それをもっと広げた話を書いてもいいんだけど、
今回は現代とのギャップを笑えたり懐かしんだりできるかもしれない、20年以上前の結婚披露宴事情を振り返ってみたいと思います☆
平成1桁台の地方の結婚披露宴事情
あくまで四国のウチの地方、そして個人的な部分も大きいことかもしれないけど、話を進めます。
結婚式場がいっぱいあった
結婚披露宴って、今はホテルとかレストランでするのがスタンダードじゃないかな?
だけど20数年前の私たちの頃は「結婚式場」ってのがあちこちにありました。
結婚披露宴をするための施設で、あくまでもそれがメイン。披露宴が入ってない日なら、何かしらの祝賀パーティーとか大きな会議でも貸してくれる場合もある、って感じだったと思います。
結婚式の方が披露宴のおまけみたいなもんで、披露宴会場の横にある小さな部屋で神式でしたんだけど、みんなそんな感じだったと思います。
でも、結婚式事情や結婚のカタチが変わってきて、平成2桁台になる頃には「ここ、潰れちゃったんだね…」「あそこもなくなったね」という感じで、次々に姿を消して行きました。
私たちが披露宴をした会場は、建物は別だけれどホテル&レストランが運営している結婚式場だったので今も残ってるみたいだし、全く別であの頃とはまた違ったお洒落な結婚式場も登場したりはしてます。
結婚披露宴と仲人さんは必須だった
私が披露宴やウェディングドレスに全く憧れがない人なので「結婚式とか別にやらなくていい」って言ったんだけど、親に「そういうわけにはいかん」と言われてしまいました。
あと「仲人さんとかも別にいらなくない?」ってのも、「そういうわけにはいかん」って。。。
私たちの出会いや両家の仲を取り持った人なんていないのに、取ってつけたようにその役をしてもらうなんて変だよ…ってすごく思ったけど、その頃はまだ、昔ながらの形式をしっかり踏襲しないと周囲から信頼されないって“親の世代が”思ってたみたいです。
「〇〇さんとこの息子さん、いつの間にか入籍してたらしい」って状態があまりみっともよくないと思ってたんでしょうね。社会人たるもの、結婚という人生の大事な節目には周囲に対するけじめが大事!みたいな。
そんなわけで正直、結納にしても結婚披露宴にしても特にワクワクして臨んだことはなくて、こなさないといけないことって感じで淡々と準備した印象が強いです(^_^;)
一般庶民でも200~300人招待するのは普通だった
この風潮何なんだろって思うけど、実際そうでした。
だから招待客の中に私や主人がよく知らない人もいっぱいいて、前に立って挨拶してくれたおじさんも「誰ですか?」状態。
どうやら主人の叔父さんか誰かが世話になってる議員さんだったらしいけど、知らない人に「〇〇くんは…」「〇〇さんは…」なんてマイクでみんなに語られる違和感は半端じゃなかったです。
各テーブルをまわるキャンドルサービスも「いつ終わるんだ!」って数だったと思います(*^^*)
でかいウェディングケーキは食べられない
ウェディングケーキは2m超えるようなタワー状のものが一般的でした。
迫力はあるけど、入刀するごくごくわずかの部分だけが本物のケーキであとは全部作り物。
今みたいに切り分けたものをみんなで「おいしいね!」って食べられるわけじゃなく、つまんないですよね。そんなに形が大事か!みたいな。
どっちにしろ、数百人では分けられないか。そうか、そういうことね。。。
最低でも4種類の衣装を着る
私のような一般庶民でも、白打掛、色打掛、白ドレス、色ドレスと計4種類の衣装を着るのが一般的でした。
それほどお色直しがあると、出たり入ったりで大忙し。なんかホント「仕事をこなしてる」みたいな感じで、感慨に浸る暇もなかったです。
今見るとドレスがヘン!
時代とともに流行が変わるのは当然のことだから仕方ないけど、和装は比較的大丈夫でもドレスが…(^▽^;)
基本的にはこのブログで顔出ししないって決めてるんだけど、20年以上前だし、見ます?
ヘンなドレス、見ます?
マジで見ます?
載せちゃいますよ。
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白ドレス、これだから(≧∀≦)!
いやー、顔がわかりにくいの選んだら、ドレスもよくわかんなくなっちゃったか(笑)!
要するにこのドレス、二の腕のところがバルーン状態で、その下には腕にぴったり沿う長袖が続き、甲の部分も三角に覆われてて中指に紐を通すヤツなの!
ダサい、ダサすぎるぜ…
このタイプの衣装、流行って繰り返すとは言うけど二度と流行らないと思います。
そういう意味では貴重な体験できて良かったかもね(*^^*)
クライマックスは両親への手紙?
これについては今もそうでしょう。一番感動的な場面です。
ところがどっこい、個人的黒歴史。
私の場合、母親との関係が良くなかったので、父はともかく母に対して感謝の手紙とか書けないって思っちゃったんです。
式場の人にも何度も念を押されたけど「そういうのいいです」って、結局本当に断ってしまいました。
歳を重ね、妻になり母になるにつれ、私の母親がどうしてそうなったのかも理解できるようになって許せたし、感謝もできるようになった今、手紙を書いとけば良かったかなと思う気持ちもあります。
だけど、その時無理に書いてもウソの気持ちが証拠として残るだけで、やっぱり書かなくて正解だったかな。ちゃんと感謝できる今、書いた方がいいね(*^^*)
そんなわけでみんなが期待する感動の場面がないなか、主人がやってくれました。
数百人の前で堂々と「〇〇を絶対に幸せにします!」ってどえらい胸張って宣言したんです。
これには拍手喝采、私は笑ってるけど他の女性陣が「感動した~!」ってボロボロ泣くという不思議現象も起きました。
そして今の幸せな毎日に「あなたは本当に約束を守る男だね!」って結婚記念日に言ってやりましたとも(*^^*)
そんなこんなで四半世紀が近づき
24年目に突入し、もうすぐ四半世紀か…と感心してます。
そういえば「結婚記念日には毎年、火を灯してお祝いしてください」って渡された、直径20cm×高さ60cmのどでかいローソク。
面倒くさがりなので全然出してもなかったけど、目盛が25年のとこまでなんだね(^▽^;)
「災害か何かで電気が止まった時使おうか」なんて言ってるんだけど、「結局災害もなくて全然使わなかったね!」ってなったらいいな。
とにかく、昔の披露宴事情を笑いながら、これからも仲良し夫婦で行きたいと思います!
そんな今日の記事を読んでもらえて嬉しいです♪
本当にいつもありがとう(^人^)それではまた!
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