私って基本的に能天気で、娘が1000gを切る超未熟児で生まれても育児書なんかを熱心に読んだことがありません。
でも、子どももだいぶ大きくなってから人に勧められて読んだ育児本があってその内容に共感したし、子どもの心が健康に育つのに役に立ちそうな内容が具体的でわかりやすく書かれていたので、それだけはずっと手元にあります。
今日はその本について書きますね。
子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ
私の子育ての基本中の基本はこれだと、しつこいほどに書いてきました。
他のアドバイスは間違うこともあるけど、「あなたを愛している」ということだけは嘘でも間違いでもないので、それを徹底して伝えると。
それが子どもの自己肯定感につながると、後で知ったと書きました。
ただ、子どもをかわいいと思えない、愛してると思えない、という人もいることは知っています。
それはきっと、自分自身を受け入れることができないでいるからかも…と思ったりするのですが、専門家ではないので知ったような顔して具体的なアドバイスをすることはできないんですよね。
そこのあたりのことも書かれているのがこの「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」でした。
この本の著者は澤田敬先生。高知県の公立病院に小児科医として28年勤めたあと、児童相談所に異動し、その後NPO法人カンガルーの会をつくったそうです。
さまざまな親子と関わり見てきたなかで知り、感じ、研究してきたことを本にまとめたといった感じで、ざっくり言うと、親と子の関係の基礎は愛着にあって、あまえを十分に受け入れられることがその後の健康な心の成長につながるといった内容です。
目次を見てみると
第1章 親と子の、人と人との、心の響き合い
第2章 心のアルバムのなかの物語り写真
第3章 乳幼児期の、親と子の心の響き合い
第4章 あまえのなかで育まれているもの
第5章 こうやってあまえ子育て
第6章 子どもをあまえさせられないと悩むあなた
第7章 子どもへの虐待と、あまえ
第8章 あまえとあまやかし、あまえとしつけ
第9章 親と子を、あまえから遠ざけるもの
第10章 子どもの身体症状が訴える心の混乱と、あまえ療法
第11章 子ども期を過ぎて現れる“あまえ欠乏症候群”
こういった構成になっています。
さっき私が書いたような、子どもをかわいいと思えないといった人の心をほぐしてくれそうなことは「子どもをあまえさせられないと悩むあなた」ほか本の中のあちこちで触れられていますし、
パパが育児に協力的でない場合のことも、原因として思い当たることや対処法のようなことが書かれています。
あまえとあまやかし
子どもをかわいいと思うし家族も仲良しだとしても、誰でも気になりそうなフレーズですね。
あまえとあまやかし、あまえとしつけについても書かれているし、あまえの中で育まれていくのが何かも書かれてます。
内容が具体的でわかりやすい
「こうやってあまえ子育て」では、抱っこ、おんぶ、添い寝、お風呂…といった風に具体的な事例を挙げて、その意味や良い影響が書かれていて納得。
他の章でも「少し気になるよくある症例」としてやきもち、夜泣き、ぐずる、指しゃぶりなど、細かく書かれています。
「気になる症例」では目が合わない、腹痛、抜毛、震災後のストレス障害、他に発達障害についても触れられているので、子どもの様子を見て心配がある人の役にも立ちそうに思います。
「親と子を、あまえから遠ざけるもの」は座談会形式で書かれていて、その中で早期教育がどうなのか…なんてことにも触れられていて、これも誰もが気になりそうな話ですね。
この本の上手な読み方と活用法
この本のちょっとだけ気になるところは、子どもの立場を主軸に書かれているので、ママからすると心がけることや責任が多く重荷に感じる可能性があることです。
でもそれは動物の本能的に仕方ない部分ではあるので、ちょっと気が重くなったりしたら適当にスルーしたらいいかと。
それはアンタが能天気だからできること!って思ったらごめんなさい(>人<;)
とにかく、隅から隅まで内容を頭と心に入れて100点取ろうとするような読み方じゃなく、気になることが起こった時に辞書を引くようなノリで参考にするのもいいんじゃないかな。
それはこの本に限らず全部そうでいいと思うし、私も人から相談された時に使えそう!って思ってます。
この本で気づいたこと
あまえを受け入れる、自己肯定感、健康な心…
基本的に私が感じて実践してきた子育てと重なるところが大きくて、よかったな~って思ったりするんだけど、じゃあ私自身がそんな風に育ってきたかというとちょっと違うってことを以前この記事で書きました。
要するに母は鬼のように厳しくて、物心ついてからの記憶では母親にかわいがられたとか、すごく甘えたとか、そういう記憶はないんですよね。
それでも私自身が子どもたちに接する時に、この本に書かれているようなことと同じ考えを持てた、持っていたということは、ひょっとして私が物心つくかつかないかあたりまでは、実は母に十分あまえを受け入れてもらっていたのかも…と思いました。
それか、父は私の記憶のどこをたどっても甘えさせてくれて、かわいがってくれて、面白くて楽しい父だったので、単に父がカバーしてくれていたのかもしれません。
そうだとしたらやっぱり、ママだけが責任重大みたいに思う必要はないですよ~とも言えるね(*^^*)
今日も話があちこち飛んでわかりにくかったかもしれないけど、ひょっとして図書館にもあるかもしれないし、気になる人はチェックしてみてね。良い本だから。
そんな今日の記事も読んでもらえて嬉しいです。ありがとう(^人^)
それではまた!
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