ウチの息子は今高専5年生。来春から大学3年に編入が決まっています。
今もAIの研究にどっぷりハマっていて、将来的に博士を目指しています。
夢に向かってまっしぐらな息子
高専5年の今、大学卒業後の準備を
夏休みの帰省中、家でPC広げて海外の大学が配信しているネット講義を受けていた息子。
東大の研究室メンバーと一緒に高校生にAIのことを教える企画に参加するため一度寮に戻り、何日かしてまた帰ってきました。
帰ってからこの前の神経科学講義動画を見せてくれて、「それを修了した日本人はキミが初めてだから、日本語字幕をつけてくれないか」と頼まれたとかで、本当に日本語字幕がついていました。
正直、息子はそんなことまでやってるのか!とビックリしました。
弱点と思われないようにカバー
「そもそもなんで海外大学の神経科学講義なんか受けたの?」って聞くと、「大学卒業して大学院行くとき、AIやりたいって言ってもキミは情報工学系で神経科学はわからないでしょ?って言われたら、そんなことないですって言えるようにしとくため」とのこと。
ちなみにそのネット講義はどうやって受けるのか聞いたら、
- ちゃんと申込登録が必要
- 本来は有料だけど、学生の場合はどうして受講したいのか、修了して将来にどう役立てるのかをまとめて申請し、審査に通ったら無料
- 講義受けてテストをパスしたら正式な修了証が出る
ということを調べて申し込んだとのことでした。
お金のことも考えて
「大学院は給料もらいながら研究できるようなとこしか行くつもりしてないから」と、既にいくつかターゲットを絞っている模様。
候補の中には海外の大学院もあって、だから余計に英語を身に着けることに注力してきたのかな?
これまでも塾や家庭教師、通信教育の類も一切してなくて受験にお金や精神力をつぎ込んだことがないし、高専も大学も国立なので、そういう意味でも親孝行な息子です。ありがたやー!
それに今いろいろと厳しい世の中だけど、博士になった後どう立ち振る舞えばいいのか、収入の良し悪しも含めてちゃんと調べて考えてるみたいです。
できる限り実績を積む努力中
これまでも他県大学の先生と共同研究して学会発表をしたり、何かしら将来の役に立ちそうな機会があればグイグイ入って行って、いくつもこなしてきています。
今もこの冬行くことに決まった海外での学会発表のため、「査読マジで厳しそうだから」とか言いながら、英語と日本語で論文をまとめてます。
どうやって育てたか?
こんな息子を知ってる人は「どうやって育てたか教えて」なんて言ってくれます。
あるいは「すごい優秀だから心配な面もあるよね。1回は挫折の経験も要るよね。」なんて言う人も。
でも実は、挫折と言うかどうかはわからないけど小さい頃にしんどい思いをしてきて、今それが実を結びつつあると、私ら家族はそういう認識なんですよね。
というわけで、どうやって育ってきたかを振り返ってみたいと思います。
就学前の息子は
赤ちゃんの時は「寝ない・飲まない・だまらない」と本当に手のかかる子で大変でしたが、言葉が早く1歳過ぎるとおしゃべりがめちゃくちゃ上手になり、見るからに賢そうなタイプの子でした。
人に挨拶することを覚えると、誰にでも元気に「こんにちは!」と声をかけますが、知らない人とは挨拶しない主義の人も多いですよね。
無視されるとどこまでもしつこく追いかけて「こんにちは!」を連発し、それでも無視して行ってしまう人がいると「ママ、どうしてあの人はこんにちは言ってくれないの?」と泣いていました。
説明のしようがなくて困ったものですが、要するに礼儀とか正義感とか強い子だったと思います。
園に行き始めると
こちらにも書きましたが、
他の子たちとの遊び方にギャップがあって、多少浮いてしまうこともあったみたい。
それでも自分を貫き通すところがあって、先生からも「えらく大人っぽい子ですよね」なんてよく言われてました。
小学校に入学すると
いきなりの学級崩壊
「学校ってのはみんなで仲良く楽しく勉強をするところ」と期待に胸を膨らませて入学した息子。ところがどっこい、入学するなり学級崩壊のクラスに当たってしまいました。
私もビックリしたんだけど、参観日でもあちこち走り回っている子、椅子の上に立ったり、背もたれに座っている子がいたりして、「これで勉強できるの!?」って感じ。
クラスには先生が4人も入って、それでも収拾がついてない時もありました。
期待を裏切られたストレスである日ブチ切れた息子、「こんなとこに居られない!帰る!」とランドセルをしょって教室を飛び出し、先生に連れ戻された事件もありました。
学童保育の先生にも「最初は明るく楽しそうに毎日過ごしてたのに、だんだん気短くなってすっかり様子が変わってしまって… お家で何かありましたか?」と、夫婦不仲疑惑をかけられてしまったりしたんですよね(-_-;)
ここで初めての習い事
自分がどんどん情緒不安定になっていることを認識していた息子は、それを克服できるんじゃないかと思ったらしく突然「剣道習いたい」と言ってきました。
近所に習っている人もいなくて急にどうした?と思いましたが、その発想は本から得たみたい。泣き虫・弱虫だった坂本龍馬が剣の道に進んで強くなったという話を読んで、自分も(心が)強くなりたいと思ったそうです。
でも、どこで習えるかなんてさっぱり見当もつかなかったので「学校の先生に聞いてみて」と丸投げ(^_^;)
すると実は週に3回、学校の体育館を利用して稽古をしている少年剣道の団体があることがわかり、1回の見学ですぐ入部を決めました。
剣道の稽古や先生は厳しかったけど、上級生の強くてカッコいいお兄さん・お姉さんが優しく接してくれて、息子の情緒は一気に持ち直しました。それはまるで魔法のようで、本当に習って良かったと思っています。
結局、剣道は中学3年生まで続けて2段をとりました。実はこの剣道以外、後にも先にも一切習い事はしていません。
ところが保健室通いの日々
情緒は安定したと思ったのですが、学校での人間関係はあまり変わらなかった模様。
どの担任にも「真面目で努力家で良いんですが、ちょっと大人すぎるというか、クラスで浮いてます」と心配され続けてきました。
起立性調節障害だった
そのうちしょっちゅう頭痛、めまい、微熱が出るようになり、あまりに続くので病院で診てもらうと、おそらく起立性調節障害でしょうとのこと。
起立性調節障害とは自律神経失調症の一種。
生活リズムが乱れている様に見えるが、自律神経失調症状のひとつと考えられている。「起立や座位で脳血流が減少し、思考力と判断力が低下する」身体の病気である。~wikipedia 起立性調節障害より~
病院の先生は精神的なものも関係している気がすると、大学生くらいになったらみんなとうまくやれるようになって落ち着くかねぇ…みたいに言われ、そりゃあ先が長いぜ!と思いました。
とにかく体の調子がそんなだから、しょっちゅう保健室に通うように。夕方になると保健室から「今日もお願いします」とお迎え要請が来る日々が続きました。
私は全面的受け止め係に徹した
幸いその頃は私が自由の利く仕事をしていたので、とにかくイヤな顔ひとつせず、清々しく迎えに行くように心がけていました。
ハタからは怠けているように見えるらしく「都合のいい時だけ具合悪いふりして…」みたいに言われてますます浮いてたようだし、体が丈夫な主人にも息子の辛さはピンとこないみたいで、「気合いの問題」とか言われたりして。。。
心も体もしんどいんだから、私は全面的に受け止めてあげようと。
何回かに1回、実は具合が悪いフリしてることがあったとして、それが何?人間だもの、完璧じゃなくていいよ。誠実を貫けなかったり、怠け心が起きて当たり前だ!という姿勢で、私だけは完全なる息子の味方として立ち回りました。
中学で吹っ切れた!
成績は良かったのでまわりから私立中学を受験したら?と言われたけどあえてそれはせず、荒れてるとの噂もチラホラありはしたものの、地元の公立中学に行きました。
そして最初の担任の先生が素晴らしかった。
初めての懇談の時、私の前で息子にきっぱりと「キミは真面目で素晴らしいけど、先生の側に立たなくていいから。もっともっとバカになりなさい。そして中学3年間をみんなと楽しみなさい。」って言ったんです。
この先生よく見てる!って思ったし、息子に一番必要な言葉をくれた気がしました。
それで実際息子も吹っ切れたのか、みんなと仲良く楽しく、学校生活を送れるようになって行ったんですよね。
めまいなどの症状も落ち着き、友達もたくさんできて、卒業後に離れ離れになっても帰省のたびにみんな集まったりして、先生に感謝いっぱい!本当にありがたい限りです(^人^)。
自分のやりたいことを目指し始めた
中学校生活がノッてきてますます成績も良くなり、部活の剣道も思いっきりやって、いっぱい遊びもして、自分は人工知能の研究者になりたいと夢も定まった息子。
なんと親も先生も知らない間に関西の高専に「学区とか関係なく受験できますか?」と問い合わせ、そこの校長から中学に「おたくの生徒さんが…」と連絡が来て一同ビックリ事件もありました!行動力ハンパねぇ~!(@▽@)
結局、関西には親戚の一人もいないので何かあった時に対応ができないことが気になり、もう少し近くで…ということで他の学校にして、特に受験勉強もせずに推薦で進学しました。あとは最初に述べたり、ここに書いた通りです。
頑張ってまとめます!
相当長い記事になったけど、読んでもらえてるかな(^_^;)
頑張ってこれまでのことと、一般的に気にされてることとでまとめますね。
乳幼児期
母乳
母乳ではありません。出なかったので、ほとんどミルクでした。
絵本
読み聞かせはしました。でも保育園から毎月2冊持ち帰るものや人からプレゼントされたもので、この月齢にはこれ!みたいなこだわりや、1日〇冊!みたいな戦略はゼロでした。
子どもが読んで欲しがるときに、読んで欲しがる本を読んだ、それだけでした。
習い事
幼児教育が…とか、いろんな体験を…とか、そんな熱心さはなく、全く習い事はしませんでした。これはその後もずっとそうでした。
乳幼児期のこだわり
しつこいけど、基本的にはこれです。
愛されて受け入れられていると確信が持てるように接する、それを徹底していました。
就学後
学習塾や受験対策
全く、一切しませんでした。それどころかテストが何点だったか聞きもしないし、私がおかしいのかもしれないけど実際気になりませんでした。良い点の時は自慢してくるので褒めちぎりました。
習い事も塾も特に必要性を感じないし、子どもが希望しないのに親が勧めるという気は全然なくて、結果そうなりました。息子自身、「学校の勉強がちゃんとわかってればそれで充分事足りるよ」って言ってました。
私としてはいろいろ詰め込んでいっぱいいっぱいになられるのがイヤで、時間と気持ちに余裕を持っていて欲しかった。
でも、発想力は必要なので遊びに力を入れて欲しくて、野山を駆け巡って宝さがしやゲームをするような企画を見つけると、それは「行ってみたら?」と進めました。
こだわりは同じ
本当にしつこいけど、基本的はこれなんです。
起立性調節障害で苦しんでいた時の対応も、これがベースになっています。
いやがらせ級に長い記事になったけど、誰かの役に立つんだろうか…(^_^;)
そんなことを思いつつも、いずれ息子と正反対の性格の娘についても書きますね。
今日なんか特に、あなたに読んでもらえて幸せです!本当にお疲れ様です!
そしてありがとう(^人^)それではまた!
Twitter でコソオワをフォローしよう!
Follow @kosoowa3
コメント